@article{oai:chuo-u.repo.nii.ac.jp:00012667, author = {荷見, 守義}, journal = {人文研紀要}, month = {Sep}, note = {application/pdf, 永楽帝による北京遷都によって、北京とその周辺は新たなる首都圏となった。北直隷である。この北京及び北直隷は燕山山脈で遊牧地帯と隣り合う遊牧農耕境域帯にあり、モンゴルやジュシェンといった遊牧勢力の軍事的圧力に直面することとなった。このため、明朝は北直隷の外周である燕山山脈と太行山脈沿いに関隘を再整備して、首都圏の守りとした。これら北直隷の防衛は兵部と後軍都督府の管轄であり、後軍都督府治下の衛所軍が関隘に派遣されて、防衛の実務に当たっていた。しかし、守りは手薄で防備も緩みがちであったため、中央から文武の官僚が派遣されて関隘を見回る巡視を行うようになり、その中に巡関の肩書きを持つ者が現れるようになった。この中、頻繁に監察御史が派遣されるようになり、巡関御史と呼称される者が登場して来る。本稿は巡視の段階から巡関の段階に移り変わっていく過程を丹念に追跡した。}, pages = {125--156}, title = {明代巡関御史の創始について}, volume = {97}, year = {2020}, yomi = {ハスミ, モリヨシ} }