@article{oai:chuo-u.repo.nii.ac.jp:00017807, author = {北舘, 佳史}, journal = {人文研紀要}, month = {Sep}, note = {application/pdf, フォンテーヌ・レ・ブランシュ修道院は隠修士の共同体に起源を持ち,サヴィニー会,シトー会と帰属の変更を経験した。本稿は1200年頃に院長ペレグランが書いた修道院の歴史を分析対象として,そこでどのように共同体の制度化を正当化しているのか,また,どのように院長の統治を評価し,修道院の財産を保護しようとしているのかを検討する。この史料の叙述編の検討から,隠修士の時代の理想化はあまり見られず,遺産として東方からの聖遺物が重視される一方,制度化が正当な手続きでなされたことを強調する点が指摘できる。次に院長の事績の検討から,財産を増やす能力や地域の人間関係を維持する能力が重視され,院長ロベールの選挙の正当性が暗に主張される点が注目される。最後に文書編の検討から,教皇文書によって修道院の制度的な帰属や地位が表現され,歴史的・象徴的に特別に重要とみなされた証書が選択的に採り上げられている点が指摘できる。このようにペレグランの歴史叙述からは共同体のアイデンティティと財産の分かちがたい結びつきが看て取れる。}, pages = {1--28}, title = {12世紀末のフォンテーヌ・レ・ブランシュ修道院の歴史叙述―共同体の過去の再構成と財産の保護―}, volume = {101}, year = {2022}, yomi = {キタダテ, ヨシフミ} }