@article{oai:chuo-u.repo.nii.ac.jp:00017814, author = {小嶋, 洋介}, journal = {人文研紀要}, month = {Sep}, note = {application/pdf, 井筒俊彦の哲学は,「存在」に関する哲学,「存在論」であると見なし得る。勿論,一口に「存在」と言っても,その概念は様々であり,単純な規定は困難である。存在が何であるかを問うことに,存在論の目的が存するとも言えるが,それ以上に「存在」自体に問うこと,その「構え」が重要である。そこから発出する探求の多様な展開自体が存在論を形成しているが,井筒の場合,それは「一即全」というギリシア哲学の根本テーゼに見られる,いわゆる「全一」としての「存在」把握が根底である。井筒は,自身が提起する「東洋哲学」の基軸に,「全一」の構造を把持している。本論考では,華厳思想における「縁起」思想とイブヌ・ル・アラビーの「存在一性」論との,井筒による接合の試みを討究する。同時に,そこには「コトバ」の問題が関係し,さらには「自然」の根源性への眼差しが潜在していることを指摘する。}, pages = {209--245}, title = {存在一性と縁起―井筒俊彦における存在論の一視点―}, volume = {101}, year = {2022}, yomi = {コジマ, ヨウスケ} }