@article{oai:chuo-u.repo.nii.ac.jp:00017839, author = {川越, 泰博}, journal = {人文研紀要}, month = {Sep}, note = {application/pdf, 明朝第三代皇帝永楽帝が行ったモンゴル親征は、前後五回にわたって漠北に親征し三度北虜を破ったのでそれを形容して「五出三犂」という。永楽帝が永楽八年(一四一〇)に最初の親征軍を起こしたのは、その前年淇国公丘福率いる明軍がモンゴル軍に大敗したからであった。親征軍を編制するために調撥された地方諸衛の衛所官軍は、永楽八年(一四一〇)二月末までに上京することを求められた。調撥の対象になった在外衛所の衛所官軍は、南京の諸衛、各地に封ぜられた諸王の王府護衛、各都司の諸衛に所属していた。永楽帝は、常山蛇勢というべき隙や欠点のない陣立てで親征に臨むために、畿内の親軍衛・京衛・在外衛所を親征軍の中核として、これに直隷・山西・山東・陝西・浙江・河南・遼東などの在外衛所官軍を組み込んだのである。これらの在外衛所から調撥されたものの多くは、靖難の役後北直隷の在外衛所から配置転換された燕王軍出身の衛所官軍であった。}, pages = {1--34}, title = {永楽八年の役と在外衛所―北直隷の諸衛を中心に―}, volume = {103}, year = {2022}, yomi = {カワゴエ, ヤスヒロ} }