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  1. 人文研紀要
  2. 第77号

明朝档案を通じて見た明末中朝辺界

https://chuo-u.repo.nii.ac.jp/records/6013
https://chuo-u.repo.nii.ac.jp/records/6013
46e67768-f666-4f52-ab06-6e22f142c091
名前 / ファイル ライセンス アクション
0287-3877~~77_077.pdf 本文を見る(PDFファイル) (3.1 MB)
Item type 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1)
公開日 2013-12-04
タイトル
タイトル 明朝档案を通じて見た明末中朝辺界
言語
言語 jpn
キーワード
主題Scheme Other
主題 明朝档案
キーワード
主題Scheme Other
主題 監視体制
キーワード
主題Scheme Other
主題 高起潜
キーワード
主題Scheme Other
主題 張国元
キーワード
主題Scheme Other
主題 火器
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_6501
資源タイプ departmental bulletin paper
著者 荷見, 守義

× 荷見, 守義

荷見, 守義

ja-Kana ハスミ, モリヨシ

Search repository
著者別名(英)
識別子Scheme WEKO
識別子 29171
姓名 HASUMI, Moriyoshi
言語 en
抄録
内容記述タイプ Abstract
内容記述 中国明代末期、サルフの戦以降、遼東鎮の要衝は次々と満族の手に落ち、この方面の明朝領は山海関周辺に限られた。明朝と朝鮮の陸上交通路は遮断され、朝鮮自体も満族に屈服したことから、明朝にとって中朝辺界の状況を把握することは困難となった。また、明朝国内では李自成らの叛乱が拡大していた。崇禎帝はこの事態に深く憂慮し、宦官を官軍の監視・監軍として付ける新体制を導入し、皇帝自らが官軍を直接指揮して対応しようとした。特に遼東方面は、他方面の監視・監軍体制が撤廃された後も、唯一監視体制が継続した。それは崇禎帝の寵愛厚い高起潜が任用されていたからである。しかし、この高起潜にしても、軍事的能力を有しておらず、システムとして下から上がる情報を上に伝えていただけで、うまく振る舞うことで崇禎帝の信任を得ていた。結局、この体制は機能しなかったが、中朝辺界の軍事情報のあるものはこの体制を通じて中央に吸い上げられ、政策形成の基礎的認識となった
書誌情報 人文研紀要

巻 77, p. 77-108, 発行日 2013-10-10
出版者
出版者 中央大学人文科学研究所
ISSN
収録物識別子タイプ ISSN
収録物識別子 0287-3877
権利
権利情報 この資料の著作権は、資料の著作者または学校法人中央大学に帰属します。著作権法が定める私的利用・引用を超える使用を希望される場合には、掲載誌発行部局へお問い合わせください。
フォーマット
内容記述タイプ Other
内容記述 application/pdf
著者版フラグ
出版タイプ VoR
出版タイプResource http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85
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Ver.1 2023-05-15 18:48:01.844528
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