@article{oai:chuo-u.repo.nii.ac.jp:00006015, author = {須磨, 一彦}, journal = {人文研紀要}, month = {Oct}, note = {application/pdf, ゲーテはドイツ国内のハールツ山地の盟主ブロッケンに三度登頂し、スイスの山岳紀行も三度敢行し、さらにイタリアの噴火活動中のヴェスヴィオ山の溶岩流を足元で観察し、シチーリアのエトナ山の一角にあるロッソ山登頂にも挑んだ。これらの山岳紀行の皮切りは一七七五年夏のことであるから、初の遠征には相応しい時節であったが、その後一七七七年一二月には、冬のブロッケン山に二週間かけて単独登頂した。林業や鉱業の従事者にとってさえ、冬山の登頂は危険なだけで無用な業であった。アルピニズムはまだ普及していない時代だった。ゲーテにとってブロッケン山への関心は第一にファウスト伝説との関係であった。そして、このブロッケン登山は、創作活動としての『ファウスト』に結実した。それから一年半ほど経って、一七七九年九月から、今度はカール・アウグスト公を誘って第二の故郷となっていたスイスへ四箇月に及ぶ長期紀行の途に就いた。ゲーテの山岳紀行の目的は、「自然との親和」であり、人生と創造活動の要としての自然との親和であった。ルソーや同時代の牧歌詩人たちが、この親和への動機となったことは否定できないが、真の成果は回り道をして現われるものであろう。この間の主たる踏査地は、ベルナーアルペン西部のチンゲル氷河、ジュラの最高峰ラ・ドール、一一月に入ってシャモニーからローヌ谷に下り、フルカおよびゴットハルト峠を経てルツェルンヘ出るが、最後の数日は降雪や吹雪に見舞われた。この旅では、ゲーテは主従の対話をなにも伝えておらず、個人的な自然観察とその体験に筆先を絞っている。}, pages = {131--164}, title = {ゲーテの山岳紀行}, volume = {77}, year = {2013}, yomi = {スマ, カズヒコ} }