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1940年代末中国共産党内における経済政策の相克 ―劉少奇の「天津講話」をめぐって―
https://chuo-u.repo.nii.ac.jp/records/7185
https://chuo-u.repo.nii.ac.jp/records/71857bc85710-f978-4d66-ab01-ab7f99ea90c0
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||||
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公開日 | 2016-02-03 | |||||||||
タイトル | ||||||||||
タイトル | 1940年代末中国共産党内における経済政策の相克 ―劉少奇の「天津講話」をめぐって― | |||||||||
言語 | ||||||||||
言語 | jpn | |||||||||
キーワード | ||||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | 劉少奇 | |||||||||
キーワード | ||||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | 天津講話 | |||||||||
キーワード | ||||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | 中国共産党 | |||||||||
キーワード | ||||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | ブルジョアジー | |||||||||
資源タイプ | ||||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||||
著者 |
杜崎, 群傑
× 杜崎, 群傑
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著者別名 | ||||||||||
識別子Scheme | WEKO | |||||||||
識別子 | 31042 | |||||||||
姓名 | MORISAKI, Gunketsu | |||||||||
抄録 | ||||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||||
内容記述 | 本稿は劉少奇によって行われた,いわゆる「天津講話」を中心に,中華人民共和国成立直前の1940年代末における,中国共産党内の政治経済政策をめぐる論争を検証するものである。 内戦の勝利を目前にした共産党は,自らの手で中国という国家を建設・運営すべく,様々な行動を起こしていた。しかし,社会主義政党としての共産党は経済政策の失敗による中国国民党の下野を目の当たりにしており,また脆弱な革命政権であるがゆえに,否応無しに社会主義的政策に一定の距離を置き,ブルジョアジーに配慮せざるを得なかった。 そこで本稿は,こうした共産党によるブルジョアジーへの配慮として象徴的な劉少奇の天津講話を分析することによって,当時の共産党の経済政策の実態を明らかにする。さらに天津講話に対する論争を手がかりに,共産党内における経済政策の相克についても検証する。これはまさに,共産党がいかにして政治経済政策を通して大衆の同意=正統性を調達しようとしていたのかを検討することに他ならない。 |
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書誌情報 |
中央大学経済研究所年報 巻 46, p. 531-549, 発行日 2015-09-30 |
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出版者 | ||||||||||
出版者 | 中央大学経済研究所 | |||||||||
ISSN | ||||||||||
収録物識別子タイプ | ISSN | |||||||||
収録物識別子 | 0285-9718 | |||||||||
権利 | ||||||||||
権利情報 | この資料の著作権は、資料の著作者または学校法人中央大学に帰属します。著作権法が定める私的利用・引用を超える使用を希望される場合には、掲載誌発行部局へお問い合わせください。 | |||||||||
フォーマット | ||||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||||
内容記述 | application/pdf | |||||||||
著者版フラグ | ||||||||||
出版タイプ | VoR | |||||||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 |