@article{oai:chuo-u.repo.nii.ac.jp:00007461, author = {沖川, 伸夫}, issue = {9・10}, journal = {法学新報}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 二〇一五(平成二七)年、砂川闘争はスタートから六〇年目を迎える。米軍立川基地の拡張計画に反対した砂川町(現・立川市)の闘いは、写真や映像を通して、あるいは多くの人たちによって語られてきた。だが、そのプロセス・実態は、いまもなお明らかではない。  一方、砂川町は米軍横田基地の所在地でもあった。そのため、砂川は他の周辺自治体とともに、横田基地との親睦を図る「日米親善委員会」に参加している。一九五二(昭和二七)年一二月に発足した日米親善委員会は、当番を決めて、定例会を開きながら、野球・ボクシングの観戦をはじめ、桜まつりやピクニック・ピンポン大会など、さまざまなイベントを企画し、日米相互の交流を深めていた。  こうして、積み重ねられてきた在日米軍との親善交流が、その後の砂川闘争により、果たして変化するのか否か。本稿では、闘争前から存在した日米親善委員会の活動を通して、砂川町のとった姿勢・スタンスに注目したい。そうすることで、複眼的な視点から、砂川闘争にあらためて光を当て、実態をつかみ直すことにつながればと考えている。}, pages = {87--112}, title = {日米親善委員会と砂川町の対応―砂川闘争前後での在日米軍に対するスタンスの変化―}, volume = {121}, year = {2015}, yomi = {オキカワ, ノブオ} }