@article{oai:chuo-u.repo.nii.ac.jp:00008254, author = {前, 協子}, journal = {人文研紀要}, month = {Sep}, note = {application/pdf, 『トレインスポッティング』は『ポスト・ヘリテージ映画』で既に指摘されていたように「スコットランドの貧しく未来の無いように見える“陽気で悲惨な” 若者たち」の姿を描いた映像テクストとして,反ヘリテージ映画として機能して」おり,しかしながら,「イングランド外部のローカルな空間や社会的背景にイングリッシュネスの伝統や共同体への帰属に抵抗や逃走を試みる若者たちの活写」という表象が,英国南部の上流階級のそれとは正反対のもう一つのヘリテージ文化として商品化され,消費流通する可能性がある映像作品でもあった。  本稿では「人生を選ばないということを選んだ」という捨て台詞とともに麻薬に溺れていた主人公が,一転,「オレは変わり続ける,転がり続けるんだ」と言いながら仲間から逃走し,ドメスティックな英国社会にとどまることにも背を向けてグローバルに転回していくことを選択した姿を通して,階級の再編にどのように適応しようとしていったのかを主として考察した。}, pages = {101--124}, title = {逃走か,適応か,それが問題だ!?―『トレインスポッティング』について―}, volume = {85}, year = {2016}, yomi = {マエ, キョウコ} }