@article{oai:chuo-u.repo.nii.ac.jp:00008255, author = {和田, 忍}, journal = {人文研紀要}, month = {Sep}, note = {application/pdf, アングロ・サクソン期のイングランドにおけるゲルマン民族の民族的特徴を示す証拠は数少なく,詳細な記述はほぼない。ブリテン島が政治的にキリスト教化されたのは6世紀末になってからといわれているが,そこへ侵略してきたアングロ・サクソン人や,その後のデーン人が,ブリテン島に定着してからすぐに完全にキリスト教化したとは考え難い。そのため,デーン人がブリテン島を侵略した9世紀から11世紀半ばまでのデーンローに関する資料を用いてゲルマン民族的異教信仰の痕跡を調査することで,当時のイングランドにおけるゲルマン民族の特徴を考察した。今回は調査資料を限定して,グズルム(Guthrum)がアルフレッド大王(Alfred the Great)およびエドワード(King Edward)と取り交わした条約(ウェドモアの条約,the Treaty of Wedmore)と,クヌート(Cnut)がイングランド王として制定した世俗法(第2クヌート法典,II Cnut)の2点を中心に扱った。これらの資料を考察した結果,そこで述べられているゲルマン民族的異教信仰および元来のゲルマン民族による慣習は古アイスランド語文献で述べられている内容とほぼ一致した。このことからアングロ・サクソン期のイングランドにも,ゲルマン民族的異教信仰やゲルマン民族的な慣習が少なからず行われていたことはわかるが,その程度までは測れないという考えに至った。アングロ・サクソン期の末期までにイングランド国民がゲルマン民族的な慣習をすべてなくしてしまったと結論付けられるが,キリスト教に対峙する内容のものが消え去り,地名や曜日の名称など,キリスト教社会に容認された内容が残っていることは興味深い。}, pages = {125--153}, title = {アングロ・サクソン期のイングランドにおける異教信仰の痕跡に関する一考察―ウェドモアの条約と第2クヌート法典における文書を中心に―}, volume = {85}, year = {2016}, yomi = {ワダ, シノブ} }