@article{oai:chuo-u.repo.nii.ac.jp:00008939, author = {張, 開駿 and 只木, 誠 and 鄭, 翔}, issue = {4}, journal = {比較法雑誌}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 中国の学説によれば,分業(行為類型)による共犯者規定(正犯,教唆犯,幇助犯)は,共同犯罪の成立及び行為の性質の認定において長けており,一方,役割(寄与度)による共犯規定(主犯,従犯)は,量刑の面において優れている。中国刑法規定は,両方が混在する規定(主犯,従犯,教唆犯,被脅迫犯)となっている。  他方で,日本においては,妥当な量刑を獲得するという視点で,共謀共同正犯論によって,正犯の実質化が図られていることは理由のないことではないといえよう。謀議に参加し重要な役割を演じていたものの,他人の犯意を惹起せず,かつ構成要件的行為を実行していなかった共犯者に対して共謀共同正犯を認めることは量刑上の要請によるものである。ところで,共謀共同正犯の理由づけは,「構成要件的行為支配説」に求めるべきである。というのも,正犯とは自ら構成要件を実現した者であって,その認定基準は,構成要件的結果へ向かう(自らまたは他人が実行した)構成要件的行為を支配したか否かに求めるべきであるからである。  もっとも,共謀共同正犯の成立範囲は厳格に制限されなければならないこともいうまでもない。そのため,主観面においては「正犯意思」が要求されることになる。ただ,犯罪利益を獲得するか否か,どの程度獲得するかという主観的認識・意図は,「正犯意思」にとって重要ではない。正犯が「自己の犯罪」としたか否かについては,上記の「支配」についての認識・意図及び犯罪後の利益帰属の客観的状況に基づいて判断してはならないのである。客観面では,共謀共同正犯における「共謀」については,謀議が,実行者に対する事実上の拘束力と支配性を有すること,つまり実行者が共謀に基づき犯罪を実行することによって決定されていることが必要であることを強調すべきである。  日中両国の共犯者規定を参照することは,互いの共犯理論にとって意義があることである。ただ,中国刑法においては,正犯及び幇助犯の明文化は必要ではあるが,共謀共同正犯による正犯の実質化は不要である。正犯概念については,自ら実行行為を行ったか否かという形式的な実行行為説では十分ではなく,さらに規範的な障碍者の行為を利用して結果を実現したか否かという要素を付け加えなければならない。本稿はこのような正犯基準を規範的な実行行為基準と呼んでいる。}, pages = {1--41}, title = {共犯者の類型及び処罰に関する中日比較法的研究}, volume = {50}, year = {2017}, yomi = {チョウ, カイシュン and タダキ, マコト and テイ, ショウ} }